割り切れない事の大切さ^^
ということをお伝えいたします。
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私は愛されています。
大きな愛で包まれています。
失敗しても
ご迷惑をお掛けしても
どんな時でも愛されています。
私は落ち込むことがしょっちゅうです。
人をねたむ時もあります。
いつも意気地なしです。
でもそれが私。
私は私の全てを受容します。
夫の急逝で私たち親子は
いろいろな壁にぶつかりながら
日々成長しています。
3人の娘たちが愛おしい。
あなた、私たちは大丈夫。
ありがとう
あなた。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は、
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割り切れない事の大切さ^^
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ということをお伝えいたします。
2、4、6、8、10・・・。
これら偶数は割り切れるから簡単な数。
私は姉と弟の3人姉妹だった。
だから、お菓子でも何でも
小さい頃から3等分するのが習慣になっていた。
母はお菓子をほとんど食べない人だった。
三人でお食べ
そういって、私たちにお菓子をくれた。
とっさに私たちの頭の中で
それらは3等分され、すぐにその通りに分けたものだ。
私がまだ小学校低学年の頃、
私たち三人で集落を歩いていたら
1円を拾った。
お金を拾ったらおまわりさんに届けなければいけない
当時、私たちにその考えはなかった。
両親が共働きで貧乏だった我が家に
お小遣いというものはなかった。
同じ学校に、一か月に50円ももらえる子がクラスにいた。
50円も自由になるお金を得ることは
貧乏な我が家には夢のまた夢だった。
お正月に親戚のおじさんがくれる
板垣退助の百円札1枚が
唯一のお小遣いと呼べるものだった。
だから、私たちは1円玉を拾ったことが嬉しくて、早速駄菓子屋さんに行って、
2個で1円のキャラメルを買った。
50銭硬貨がまだあった頃だ。
一辺が1.5センチくらいのキャラメル2個を
私たち3人で分けて食べた。
一番年上だから姉が1個で
私と弟がもう一個を半分ずつ分ける、
そんな考えは当時なかった。
何でも3等分だった。
私たちはいつも3等分、
それが当たり前だった。
もっと食べたいけれど
貧乏で共働きの両親には子供ながらにそれは言えず、
いつも分け合っていた。
その後、私たちは大人になり
姉が嫁いでいった。
いままで3つに分けていたお菓子が
半分に増えた。
食べられる量が増えたから嬉しかったが
なぜか楽しさは薄れた。
そして、弟がまさかの難病に罹り
僅か3か月でこの世を去った。
私は一人でお菓子を食べられるようになった。
もう、袋を開ける前に頭の中で
三等分する必要がない。
一人で食べきっても誰も文句は言わない。
お腹いっぱい食べることが出来たが
私の心は満たされなかった。
だから、三人の娘たちが
「えー!そっちの方が多いよ!」と言い合いながら
分け合っている姿を見るのが嬉しい。
今回は
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割り切れない事の大切さ^^
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ということをお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日にしましょう。
山田ゆりでした。
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