【今の仕事を辞めないで、自分の力で稼ぐ】山田ゆりのプロフィール

もと50代の山田ゆりと申します。数あるブログの中で、私のブログにお越しいただきありがとうございます。

ブログメルマガアフィリエイトというビジネスに取り組んでおります。

このブログは、50代の特に女性のあなたに、
「今の仕事を辞めないで、自分の力で稼ぐ」事の重要性をお伝えし
パソコン初心者のあなたでも、ブログメルマガアフィリエイトで、
月 数万円稼げる方法をお伝えいたします。
そして、ブログメルマガアフィリエイトで経済的不安のない未来を目指すことができます。

ただし、最初にお断りいたしますが、こちらはパソコン初心者のあなたが月 数万円を稼ぐ方法をお伝えするブログであり、

月 数十万円やそれ以上を望んでいる方にはこのブログはお役に立てませんのでそういう方は、他の方のブログをご覧ください。

あなたは次の15項目のうち、いくつ当てはまりますか?

5項目以上に当てはまったら・・・
あなたも今すぐ、ブログメルマガアフィリエイトを始めましょう!

50代または60代である。

夫の稼ぎが低い。

・手はかからなくなったが、金銭的援助が必要な子どもがいる。

節約をしなくちゃ・・・と考えてるが、うまくいかない。

専門学校、大学生の子どもがいる。または、数年後にそうなる予定。

・女性だというだけであなたの会社での地位は低い。

・自分より何年も後に入社した男性社員は、とうの昔に自分の給料を超している。

・自分の将来の年金は、月額10万円未満

住宅ローンの支払いがまだ5年以上残っている。

家族の介護をしている。

・自分の事は二の次。まずは家族を優先してしまう。

・家族の為なら、つらい事でも頑張れる。

・最近「老い」を感じることが多くなった。

・このままでは年金を受け取る前に老後破産しそうだ。

副業に興味があり、副収入を得てみたい。だけど、方法が分からない。

 

いかがでしたか?

今すぐ、ブログメルマガアフィリエイトを始めて、あなたの不安を解消する努力をしてみませんか?

なぜ、「今の仕事を辞めないで、自分の力で稼ぐ」事を始めなければいけないか

私がお勧めするネットビジネスは、軌道に乗れば月数万円を稼ぐことが可能です。

可能ですが、それは、「軌道に乗れば」であって、

軌道に乗るまではかなりの時間と労力が必要です。

 

定年から年金受給開始までの数年間、あなたは無収入で暮らしていけますか?

会社からお金をいただく事だけが「稼ぐ」事ではありません。

自分の力で稼いでみませんか?

 

あなたは定年まであと何年ですか?

もし、あなたが50代だとすると10年はありませんね。

若い方だったら、ネットビジネスもスラスラこなして

短期間で収入を得ることができるでしょう。

 

でも、50代を迎えたあなたはこんな事はありませんか?

・記憶力の低下

・老眼

・目が疲れやすくなった

・パソコン操作がおぼつかない

・Wordは「ワード」、Excelは「エクセル」というように、
カタカナでしか入力できない。

・調べ物をしていたら分からない言葉が出てきて、
その意味を調べていたら更に分からない言葉が出てきて・・・
その繰り返しで、そもそも、何を調べていたのか分からなくなった。

・親指の付け根が痛く、握力が激減し、重いものを持てない。
「見た目はまだまだ若い」と思っていても、こんなことで体力の衰えを感じる。

・40肩、50肩。

・ひざが痛くて階段の上り下りがつらい。

 

そうなんです。

若い頃は、お金を稼ぐために体力勝負的なことは簡単にできました。

しかし、50代になった今、気持ちは相変わらず若くても、体は正直です。

体力を使う仕事は無理になってきている年代です。

 

でも、ネットビジネスなら、パソコン入力だけなので、

それほど体力は必要ありません。

だから、50代のあなたにはネットビジネスがお勧めなのです。

 

しかし、50代にもなると記憶力が衰えてきています。

若い人に比べたら覚える時間は何倍もかかることでしょう。

だから、定年まであと数年のあなたは、

今の仕事を辞めないで、副業を始めなければいけない」のです。

早く始めれば定年までに間に合う確率が高くなります。

 

未来のあなたを創るのは、現在のあなた

定年までの数年間をただテレビのドラマを観て過ごすしますか?

それとも、毎日少しずつでもスキルを身につけて、ブログという資産を積み上げて

定年の頃には自分で稼いでいますか?

 

未来のあなたを創るのは、現在のあなたの行動です。

 

なぜ、私がブログメルマガアフィリエイトをお勧めするのか

それは、ブログメルマガアフィリエイトは副業として始めやすいからです。

普通、事業を起こそうとすると、

土地、建物などの店舗代、

売ろうとする商品の在庫、

事務員、営業員などの人件費など

少なくても数百万円が最初にかかります。

商売を始めたばかりの頃は、すぐには売上はありませんよね。

でも、初期費用として最低、数百万円は必要です。

 

しかし、ブログメルマガアフィリエイトは、

サーバー代とドメイン代等で月あたり数千円しかかかりません。

だから、もし失敗してもダメージは最低限で済みます。

また、少ない資金で大きく稼ぐことができます。

 

「今の仕事を辞めないで、自分の力で稼ぐ」ことを思い立った経緯

50代の女性でも、会社の給料以外を自分の力で稼ぐ必要があります。

その思いに至った経緯は、アルツハイマー型認知症の母の介護をし、

更に、家計の困窮も重なり、介護する側の私が倒れるという経験をしたからです。

 

母がアルツハイマー型認知症になり、狂暴化

あの頃、転職したてで、社内での自分の立ち位置を固めようと頑張っていた時に父が急死しました。

 

そして、驚くことに父が急死したその夜から、突然、母の奇行が始まりました。

母はお金の管理がだんだんできなくなり、私が母のお金を盗ったと思うようになりました。

 

あんなに穏やかな性格だったのに、夜になると急に狂暴化し、

窓ガラスを割られたこともありました。

 

また、夜、母が私の枕元に来て、「盗んだ金を返せ!」とわめき散らし、

お互い、寝不足な毎日を過ごしました。

 

今でこそ「認知症」という言葉や症状はテレビや新聞などで多く取り扱われていますが、

当時は周りに認知症のお年寄りがいなかったので、

母が認知症になっているとは夢にも思っていませんでした。

 

そのうち、母の奇行がエスカレートしていき、

「もしかして認知症かもしれない」と薄々気づいてきました。

しかし、「母が認知症かもしれない」という現実を受け入れたくない気持ちもあり

病院で診ていただく事に躊躇していました。

結局、それから数か月が経過したころに意を決して病院に連れて行き、

そして、すぐにアルツハイマー型認知症と診断されました

 

夫が会社を辞めて農業を始め、家計は困窮し始めた!

我が家は、夫と実母と子ども3人の6人家族です。

第一子の私立高校受験が数日後に控え、

これからもっとお金が掛かる、そんなとても微妙な時期に夫は会社を辞め、農業を始めました。

 

我が家は両親が農業をしていました。夫はお婿さんです。

私は朝早くから夜遅くまで働く両親を40年以上見てきましたので

農家はそういうものだと思っていました。

父が健在だった頃は、夕食後、家族全員で出荷の手伝いをしていました。

例えば、ミニトマトの場合、居間にブルーシートを敷いて、

ミニトマトを布で磨く人、パックに詰める人、重さを量る人、パックにシールを貼る人など、

それぞれ分担して市場への出荷の手伝いをしたものです。

 

ところが、夫は、「長時間働けばいいってものではない。」と言い、

朝遅くまで寝ていて、農作業は長くても5~6時間位しかせず

残りの時間は自分の部屋でゴロゴロしています。

 

また、農業初心者なのだから、まわりの農業の大先輩に教えを乞えばいいと思うのですが

人に頭を下げるのが嫌いな人なので、夫は「俺は俺のやり方でやる。」と豪語しています。

 

初心者なのに、成功者から学びを得ようとしないし、自己流と称して労働時間が極端に少ない。だから夫からは農業の上がり(お金)はほどんどありません。

 

入ってくるお金が少なくなっただけではありません。

我が家は野菜とお米を作っています。

だから、お米は勿論、野菜を買うことはほとんどありませんでした。

しかし、夫が農業を引き継いでからは、作物がうまく育たなくて

今まで当たり前に採れていたものがほとんど採れなくなりました。

私は生まれて初めてお米を買い、「お米を買うとこんなにお金が掛かるのか」と実感しました。

農業が不慣れなこともありますが、農業に対する夫の覚悟の度合いのような気がします。

 

夫が農業をするようになって、会社員時代のような毎月の給料が入ってこなくなりました。

つまり、収入が減少したのですが、それだけに留まらず

農家なのに野菜やお米を買わなければいけないという、支出の増加も起こりました。

収入が激減し、更に支出が増加した我が家の家計。

 

私は「節約しなきゃ」と頑張りました。

 

私は跡取りなので、この家を守っていかなければなりません。

この考えは、両親から押し付けられたものではなく私が自然に思っていることです。

 

子ども達が義務教育まではそれほどお金が掛かりませんでしたが

高校、専門学校、大学、と3人がそれぞれ進学するたびに、

諭吉さんがバッサバッサと飛んでいきました。

 

今まで入ってきた十数万円。それに比べて、いくら頑張って節約しても千円~数千円。

全く、焼け石に水です。

 

いくら頑張っても節約には無理があります。

 

プチリタイア気分の夫に嫉妬

一人でプチリタイヤ気分になっている夫に対して、私は嫉妬していました。

「これから教育費が膨らむというのに、なんで、一生懸命に働かないのよ!

 

夫に対するイライラは募る一方で私の心の中はドロドロ。

私は、そんな思いを本人に直接は言わず、嫁いだ姉に毎日、電話で愚痴をこぼしていました。

 

あの頃の私は本当に醜かった(>_<)

 

上の二人の子どもが都内の専門学校や大学に進学し、

一人につき、年間100万円以上の学費と、その他に寮費、水道光熱費や通信費等が掛かります。

共働きでさえ厳しい状況なのに、夫からはほとんどお金が来ない毎日でした。

 

私の給料と母の年金で家族6人の生計を立てていましたが、

もちろんそれだけでは不足なので、貯金を取り崩しながら生活を続けていました。

 

その頃の私は今の会社に転職したてで、自分の力を認めてもらいたかったし、

全ての仕事を完璧にこなすのが当たり前と思っていましたので、

残業や休日出勤も積極的にしていました。

 

 

また、そのような姿勢を評価してくださったのか、

入社して早々から会社の委員会のメンバーにも選ばれて、かなりハードワークでした。

 

母の介護と仕事、家事、育児、

そして、夫への嫉妬。

フラストレーションMAXした。

 

ストレスによる右耳の突発性難聴で入院

ある日、右耳が聞こえない、聞こえにくいのに気が付きました。

仕事の関係ですぐに病院を受診することができず、2、3日後に受診したら

「かなり症状が重いです。今、治さないと耳が聞こえなくなります。」と言われ

強制的に一週間、入院することになりました。

 

耳や脳を検査しましたがどこも異常はありませんでした。

ストレスからくる突発性難聴でした。あるあるです。

 

私はその入院で救われました。

 

私は手術を伴わない入院は初めてなので

「これは、神様が私に下さったご褒美だ!」

「入院中は読みたかった本を思う存分読もう!」

「パックもしてお肌の回復を図ろう!」とワクワク気分で入院の準備をしました。

だから入院中は、日ごろから読みたいと思っていた本をたくさん持ち込み好きなだけ読書をしました。

 

そして、点滴をしながらベッドの上で、今までの事を振り返ってみて、

完璧を求めていたら、介護する方が先に倒れてしまう

だから、何も完璧でなくてもいいんだ。ゆるく生きよう。」そう決めました。

 

突発性難聴で得た教訓!
仕事以外の介護・家事・育児は手抜きをする!

介護も家事も育児も、仕事以外は手抜きをすることにしました。

母の下着がひどい状態になった時は、洗濯をせず、捨てることにしました。

料理も、忙しい時はテキトーなものにしました。

茶碗を洗ったりお米を研ぐのは、時々、「お願いねー」と子ども達に言ってさっさと寝たり。

掃除もホドホドに。

こうやっていろいろな手抜きをしてきたら、

夫に対するドロドロの気持ちがなくなり、

前向きな思考を持てるようになりました。

 

世の中、お金があればなんとかなる!

夫からのお金がほとんどこなくなったので自分が何とかしなければならない。

でも、どうすればいいか分からず、精神的にも肉体的にも疲弊を重ねてしまい

挙句の果てに、突発性難聴で入院してしまいました。

 

それもこれも、全ては「お金がない」の一言です。

つまり、「お金があればなんとかなるのです。

 

そうではないとおっしゃる方もいらっしゃいますが、しかし、お金は大事です。

お金さえあれば何とかなる、何とかなった、そういう場面がたくさんあります。

 

夫に収益を期待して数年待ったがこれ以上は待てない!

いつになるか分からないその時を待っていたら、我が家は自己破産してしまう!

夫が稼げない、一生懸命稼ごうとしない

・・・・だったら、

・・・・

・・・・

・・・そうか!私が稼げばいいんだ!

 

夫をあてにしない!自分で稼ぐ!

夫は私を愛しているのは、分かっています。私も夫を好きなのは分かっています。

だから、夫を心の中で見捨てたのではなく

「あなたはあなたで、いつか芽を出してね。私は私で頑張るから。」という気持ちになりました。

 

そして、自分で稼ぐにはどうすればいいのか、

パソコンで「副業」「副収入」などで検索していたらネットビジネスという手法にめぐり逢いました。

 

ネットビジネスにはいろいろな種類がありますが、

私はブログメルマガアフィリエイトを選びました。

 

最後にお伝えしたい事

アルツハイマー型認知症の実母の介護は、

10年と10日目の夕方、突然、前触れもなく終わりを迎えました。

初めての介護で大変な毎日でしたが、

曲がりなりにも10年間も親孝行らしい事ができ幸せな10年間でした。(*^_^*)

 

今後、年金受給額はどんどん減らされていきます。

また、受給年齢も更に遅くなってきています。

昔は60歳で年金をもらえたのにそれが62歳、63歳、64歳、65歳となりました。

 

もし、70歳でないと年金がもらえないとなると、

会社を定年してから受給年齢までどうしたらいいのでしょうか。

それまでも生活して行かなければいけないのです。

 

定年から年金受給日までに収入があるようにするには

定年の前の今から自分で稼ぐことを頑張るべきだと思います。

 

夫はその後、農業に目覚めた?のか

本腰を入れて取り組むようになりました。

 

以前の私のようにお金の為につらい思いをしないように

50代の若い今から、自分で稼ぐ方法を身につけなければいけないと思います。

 

そのために、このブログではブログメルマガアフィリエイトのやり方をお伝えし

「自分の力で稼ぐ」という未来を目指していただきますので

楽しみにして下さい。(*^。^*)

 

 

夫が急逝いたしました。

 

2019年12月26日(木)追記

 

長いプロフィールをお読みくださりありがとうございました。

あれから長らくブログを更新できずにおりました。

 

 

2019年10月28日(月)

夫が急逝いたしました。

それまでどこも悪くなく、前夜も

いつも通り晩酌をして

 

いい気分のまま、夫は自分の部屋に入りました。

いつもと変わらず

いえ、いつも以上に明るい夫でした。

 

まさか、それが最後の姿だとは思ってもみませんでした。

亡くなった翌朝に録音したnoteがあります。

今では貴重な音声です。

今は続けることが目標【音声と文章】|山田ゆり
今回は 今は続けることが目標 ということをお伝えいたします。 4分3秒の音声です。 音声と文章どちらでもお好きな方をどうぞ。 ************* メールマガジンの登録は こちらから↓ ↓ **文章はここからです*** おはようございます。 山田ゆりです。 今回は、 今は続けることが目標 ということをお伝...

「今は続けることが目標」

 

 

農業の夫はいつも早めに夕食を食べるのですが

翌日の夜、私は会社から帰宅した時

夫が夕食を食べた様子がありませんでした。

 

どうしたのだろうと

夫の部屋を覗きに行ったら、

夫はベッドの中で冷たくなっていました。

 

後で医師から、死因は

「致死性不整脈」と言われました。

 

簡単に言えば突然死です。

 

 

11年前までは

両親、夫、私、3人の娘の7人家族が

当たり前でした。

 

あれから、父、母、そして夫が亡くなり

たった4人家族になってしまいました。

 

家庭に男性がいないのは

何かと不便です。

心もとないです。

 

 

でも、泣き言ばかり言ってられません。

私たち親子4人は

これからも強く生きていきます。

 

このブログは当初、

ブログメルマガアフィリエイトを

お伝えするつもりで始めましたが

夫の死に接して

 

どんなことがあっても

前を向いていく、

そんな気持ちもお伝えしたいと思ってきました。

 

だから、

ネットビジネスのノウハウよりも

マインド的な事の方が多くなるかもしれません。

 

 

でも、何事も、「やり方」ではなく

「在り方」、つまり

「こころ」が重要です。

 

稼げるやり方だけを覚えても

それは一時の夢です。

 

人として正しいマインドを持った人は

どんな逆境にも耐えられます。

 

私たち親子は

これからたくさんの試練にぶつかると思います。

 

それらをひとつひとつ乗り越えて

明るく生きていきます。

 

 

 

晴れ時々くもりくらいの感じで私たちは強く逞しくなっていきます。

 

私は愛されています。
大きな愛で包まれています。

失敗しても
ご迷惑をお掛けしても
どんな時でも愛されています。

私は私の全てを受容します。

夫の急逝で私たち親子は
いろいろな壁にぶつかりながら
日々成長しています。

3人の娘たちが愛おしい。
あなた、私たちは大丈夫。

ありがとう
あなた。

 

山田 ゆり

 

 

仕事を続けながら自分で稼ぐ!50代からの副業ブログ
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