note 有料マガジン 「もらい乳」で繋がっている私

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おはようございます。
山田ゆりです。

こちらは、私の有料マガジン
「自分のための人生」をご購入下さった
あなただけに向けた音声です。

音声と文章、どちらでもお楽しみいただけます。

今回は
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「もらい乳」で繋がっている私
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という事をお伝えいたします。

昭和一桁代生まれの私の母は
8人兄妹の7番目。

母の母、つまり私にとっての祖母は
病弱で、出産後におっぱいの出が悪かった。

当時はおっぱいの代わりになる粉ミルクはなく、
母の話では、米をドロドロに煮込んで
薄くしたものがおっぱいの代わりだった。

でも、お母さんの栄養がたっぷりのおっぱいに比べて、
お粥はそれほど栄養がない。

だから、当時、母の6人の兄・姉たちは
生まれて数日後に亡くなった。

母が生まれた頃、ちょうどご近所でも
出産された方がいらっしゃって、
その方のおっぱいを母が飲ませてもらった。

それを母は「もらい乳」と言っていた。
この言葉が正しいのかどうかは分からないが、
当時はそういう事があった。

だから、もらい乳をしてくださったその方は
我が家の親戚でも何でもないが
冠婚葬祭の時はいつもお客様として呼んでいた。

その方が亡くなるまで
ずっと親戚以上の繋がりがあった。

その方のおっぱいが無かったら
母は育たなかったし、
私も私の娘たちも誕生していなかった。

昭和一桁はモノも情報も少ない時代。
ひと様との繋がりで生かされていた時代でした。

今回は
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「もらい乳」で繋がっている私
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という事をお伝えいたしました。

本日も最後までお聴きくださり
ありがとうございました。

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日にしましょう。
山田ゆりでした。

 

 

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