note 昭和40年代頃の夏

note 雑感

今回は3分秒37の音声で
昭和40年代頃の夏

ということをお伝えいたします。
音声と文章どちらでもお好きな方をどうぞ。

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**文章はここからです***
私は愛されています。
大きな愛で包まれています。

失敗しても
ご迷惑をお掛けしても
どんな時でも愛されています。

私は落ち込むことがしょっちゅうです。
人をねたむ時もあります。
いつも意気地なしです。

でもそれが私。
私は私の全てを受容します。

夫の急逝で私たち親子は
いろいろな壁にぶつかりながら
日々成長しています。

3人の娘たちが愛おしい。
あなた、私たちは大丈夫。

ありがとう
あなた。

おはようございます。
山田ゆりです。

今回は、
=============
昭和40年代頃の夏
============
ということをお伝えいたします。

昔はあそこが役場だった。
私が小学生の夏休み期間は
その役場の空き地で朝、
ラジオ体操をしていた。
出席カードの判が増えるのが楽しみだった。

私が通った小学校と中学校には
プールが無かった。
当時は街なかの学校にだけプールがあった。

私たち子どもは、近くの川にもぐって遊んでいた。
集落が決めた遊泳範囲に紐を巡らし
泳ぐ時間が決められていた。

私は、水中眼鏡をかけて
もっぱらもぐっていた。

集落では当番制で監視員が割り当てられ、
時々、母の出番があった。
実際に母は水着になる事はなかったが、
母は泳ぎが達者だった。

川の近くにある畑で遊泳期間中、
孫のために
親戚のおばちゃんが
大きな鍋でとれたてのジャガイモを煮ていて、
私たちも一緒に食べた。
そこに生えているスイカも食べさせてくれた。

当時のおやつと言ったら、
煮たジャガイモ、
枝豆、
キュウリやトマトの丸かじり
スイカ
メロン

あとは、かき氷。
市販のシロップを掛けるほかに
近所の親戚でヤギを飼っていて
そのヤギのお乳を掛けてくれた。

でも、私は
そのヤギのお乳は生臭くてあまり好きではなかった。

かき氷といえば
当時、夏限定でかき氷だけをするお店があった。

大きな自動の氷を削る機械から
シャキシャキのかき氷が出来ていた。

いくらだったろうか。
一杯30円か50円だったような気がする。
私たちには到底手が出ない、高級品だった。

木々がうっそうと茂るお宮では
セミが鳴いていた。
男子たちはセミを捕まえていたが
私は虫が怖くて触れなかった。

夜になると、庭には蛍がきた。
ポッ、ポッ、と光の集団がほのかに浮かぶ。
クリスマスツリーに輝くようなキラキラの点滅ではなく、
ほんわりとした光のかたまりだった。

夜に花火なんか当時はしなかった。
宵宮や盆だまをいただいた時くらいしか
花火を買う事はなかった。

夜は渦巻の蚊取り線香をつけ
かやの中で眠った。

遠くで川の上を
電車がガタンゴトンと渡る音を聞きながら眠りに就いた。

今回は
============
昭和40年代頃の夏
============
ということをお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日にしましょう。

山田ゆりでした。

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